こちらでは大変ご無沙汰しております。共生舎の髙橋です。
私ども「共生舎」は、全く新しいスタイルの学習塾として、2016年1月に産声をあげて以来、
「机の上の学びと実社会との関連づけ」をメインテーマとして運営しております。

2020年からいよいよ本格化する「教育制度改革」。
改定後の学習指導要領では、「主体的で深い学び」が求められます。

つまり、与えられたことだけをやっていけばよいのではなく、
学んだことを、自分から進んで使っていくこと、
自分から進んで、自分の考え方を披露して、他者の考え方とうまく折り合いをつけていくことが求められます。

その導入として、実はふさわしいイベントが、室蘭市内でも開催されるようになりました。
それは「室蘭ハタモクカフェ」というイベントです。

「ハタモク」

これは「働く目的」を短縮した造語です。
北海道に「NPO法人ハタモク北海道」という組織があり、そのスタッフが、道内各地で学生向けに、「働くことの意義」「学ぶことの意義」などを、大人とのフラットな会話を交えて語り合い、考えるというイベントを開催しています。

室蘭では、6月に法人主催の胆振室蘭版のイベントが開催となりました。
こちらのイベントにも、髙橋が参加させていただきましたが、登別明日中等教育学校と室蘭清水丘高校の学生さん、室蘭工大の学生さんが多く、それぞれのキャリア形成と現状についての胸の内を聞くにつれ、強く感じたことがありました。

大人は子供に、先輩は後輩に、上司は部下に。予定調和ばかり望んで押し付けていないか?

受け身の姿勢で学んできた学生さんには、いきなり「こういう時代になりますので、自発的にどうぞ」などと言われても困ります。
成績がそこそこで大学を出て、勤め人になった途端に「ここは学校ではないから、なんでも教えてもらえると思うな」と言われても、具体的に何がどうなって自分にそう言われているのか、正直言ってピンときません。それどころか当惑して、心にブレーキがかかります。
かなり端的に言えば、「受動的な優等生」が潰れていくのが世の中なのですが、残念ながら「受動性」を「能動性」に変えてくれるカリキュラムなど、義務教育の中では前提になかったのかもしれません。

かといって、自分で考えてやってみると
「なぜ勝手にそういう判断をした」
「そこまで勝手にやっていいとは誰も言っていない」
「自発的にも程があってだな」という返答が帰ってくることがあります。

これは、「判断基準」や「程度」について、なんの説明もなされなかったために起こった会話です。
つまり、上に立つ側は自分の用意した「箱庭」(=前提条件)を壊されたくない、という防衛反応が起きるのでしょう。

キラキラ、いいことばかりが人生ではない

今回本輪西ファミリークリニックで開催となった、ハタモクカフェ。
グランドルールに「その場の話はその場限り」という、自由な発言を担保するルールがあるので、詳しくは話せないのですが…
話せる範囲で、印象的だったのは、大人も子供も、それぞれの年代や立場なりに悩みがあり、それぞれの悩みはその人だけのもの、だということでした。

たとえば、「隣の芝生は青い」という話では、自分よりも周りの人すべてが特に優れているように見えるのですが、それが行き過ぎると、並々ならぬ嫉妬心や劣等感が育ってしまうということです。「あの人ばっかり」「あの人は強くていいな」「あの人は成績いいし」などなど、つい「隣の芝生」ということを忘れてしまうがために、自分自身の芝生(=持ち味)に水をやる(=育て、使い物にする)ことを忘れがちになってしまいます。

でも、ですよ。
「挫折なんて今まで一度も味わったことがない」という人は、たくさんいるのでしょうか。
程度の大小はあっても、生きている以上は、みんな「隣の芝生」との比較で「挫折感」を味わうことはあるのではないか、と思います。

挫折を知る者だから見える景色

今回のイベントに参加した大人たちは、学習してきたことと、今実践していること(仕事でもプライベートでも)とが、直接的につながるという人は、あまりいなかったように思います。当然、髙橋もその一人です。

でも、挫折を知ったからこそ見える景色は、必ずあるはずです。
そこでは、誰もが自らの悩み一つ一つにリスペクトが払われる、優しい世界ではないかと思います。
年齢、性別、国境を超えた、ヒューマニズム(人類愛)の世界ではないかと思います。

挫折を知ることで、自我の適度な解放と抑制が、知らず知らずのうちにできるようになります。そしてそれは、冒頭でもお話しした、「自分の主張はするが、他人の考えも理解して、折り合いをつけていく」、新時代を切り開く教育の礎となるのではないでしょうか。

肩書き至上主義を乗り越えて

だからこそ、たとえば高2であれば、周りが志望校を決めていくのに、自分だけが…という劣等感であったり、はたまた、大学進学をしない高3であれば、就職試験が自分の全てなのか?という疑問だったり、そういった悩みを持つ学生さんも少なくないでしょうし、大学生であれば、偏差値が高いからといって、自分の心が求める学びに必ずたどり着けるわけでもないでしょうし、偏差値が低いからといって高度な学びが大学では全くできないというわけでもありません。

はたまた、大学進学歴がなく、資格もこれといって目立ったものがなくても、社会の役に立ち、それが仕事として認められることも十分にあります。かと思えば、私のように大学進学して就職はしたものの、ドロップアウトをして自営業の道を突き進み、可処分所得的には大学時代の同期たちの半分から三分の一になっても、毎日が生きた心地に満ち溢れている(良くも悪くも)という人間もいます。

教育制度改革と一億総活躍社会。
そこにブレーキをかけているのは、実はこれまでの「肩書き至上主義」であったり、「お上がなんとかしてくれる」的発想ではないかと思います。自ら考え、主体的に動く人たちが増え、プラスの合力でつながる人を増やすには、自分たちの日頃の暮らしから、「自分の五感で確かめる」という経験を進んでする必要があると考えます。もちろん、他人の意見や肩書きを参考にするのも否定はしませんが、最後は「自分の心と直観に従う勇気」を持って、ものごとにあたれる人が増えればと思います。

実は「自分の心と直観に従う勇気」は、スティーブ・ジョブズの言葉です。
人は他人のことはなんとでも言います。参考にするのも良いですが、最後は自分の良心に従うように。
新時代へのキャリア教育は、そこを育む意識を、年長者たちが進んで持つことが望ましいと思います。

閑話休題。黒糖タピオカミルクティー、今までのタピオカ系飲料の中で一番美味しく感じました。